汚泥の底日誌

文章力向上と自分の書きたいことを書き殴るためのブログです。

第1008回 ゲームは続くものか一期一会か

常日頃からお世話になっております。

ケンロクエンです。

 

おかげさまで第1008回です。

 

とあるソシャゲのサービス終了が話題になっています。

大手育成型ゲームシリーズの一角で、今後もシリーズ展開としては続いていくが後継のゲーム作品の予定はないとのことで、ゲーム上でのキャラクターとの触れ合いが実質消滅という事態に各所から阿鼻叫喚の声が上がっていました。

 

俺はプレイしてはいませんでしたが流石に名前を聞いたことや一部キャラクターは知っていたこともあって、漏れ聞こえる悲しみの声を聞きながらちょっぴりしんみりとした気持ちになりました。

その上でゲームとしての作品の継続や後継作品がないことで辛い気持ちになっている人や悲しみを吐露している人の声を聞いて、ゲームやその中のキャラクターとの関わり方の変化を感じました。

 

ソシャゲが台頭する前はゲームはオンラインゲームでもない限り買い切りのゲームしかありませんでした。

なのでどんなにゲームやキャラクターが好きでも、その作品の中にあるものが全てでした。

 

ストーリーを楽しみ、育成を楽しみ、裏イベントや隠しダンジョンも楽しみ尽くす。

それが終わったら縛りプレイや今まで使わなかったキャラクターやアイテムを使って楽しむ。

削れて粉になるまで擦り倒し、味がしなくなっても噛み続ける。

スタッフチームや会社の解散で続編が出なくなるのを悟ると、味も形もわからなくなったそれをまた噛み直す……ゲームとは、作品との関わり合い方というのはそういうものでした。

 

しかしゲームの進化の過程でゲーム内でも時間が流れるようになり、日付を認識してくれるようになるとプレイヤーの誕生日を祝ってくれたり、キャラクターの誕生日をこちらが祝ったりと双方向のやり取りが生まれるようになりました。

設定で決まっているキャラクターの誕生日をプレイヤーが勝手に祝う世界は崩れ、キャラクターとプレイヤーが共に喜びを分かち合うものに変わりました。

 

そして月日は流れてソシャゲの時代になると、ゲームは朝起きたら、暇な時に、寝る前にとプレイする生活の一部になりました。

それに合わせてキャラクターとのやり取りも増え、新年を祝ったり、夏や冬には特別な衣装を着たりと生活に根差すものになりました。

 

更新があるとはいえ1つのゲームで2年や3年も遊び続けるというのは一昔前では考えられなかったパラダイムシフトです。

 

そして生活に根差すということはゲームそのものが続いていくもの、続いて当然のものになりました。

ゲームはゲームだけで終わらず、ゲームをプレイする我々プレイヤーや共に歩む時間すらも内包する巨大な概念に成長しました。

 

故に今回話題になっているゲームのサービス終了とその後継作品無しの発表は文字通り身を切るような気持ちをプレイヤーの方々に与えているのだと思います。

 

終わりがないものなどないと言ってしまえばそれまでですが、それで納得できるものでもないのも事実。

どうにかこうにか折り合いをつけるしかないとはいえ、なんとも言い難いですよね。

 

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