汚泥の底日誌

文章力向上と自分の書きたいことを書き殴るためのブログです。

第936回 クリエイティブクライシス!

常日頃からお世話になっております。

ケンロクエンです。

 

おかげさまで第936回です。

 

俺の周りには幸せなことにクリエイティブな人たちがたくさんいます。

絵描き、物書き、音作りと言った古今の東西を問わないクリエイターに、音声や動画配信、VTuberと言った今の時代をひた走るクリエイターまで多種多様なクリエイティブな人たちがおり、そうした人たちの物作りの裏側を見聞きさせてもらったりをさせてもらえることもあったりで、日々様々な刺激を与えてもらっています。

 

ですが時折思うのです。

まるで世界で自分だけが何も生み出していないのではないかと……。  

 

イメージで言えばそう、テレビで活躍したり漫画やアニメの主人公の年齢がどんどん自分より年下ばかりになるあの感じに近いのかも知れません。

日々様々な物を作り出し世に放つ人たちに比べてなんと自分の矮小なことか、自分だけが何も成し遂げていないじゃないか!

彼ら彼女らの放つ創作の光に照らされて大きく伸び上がった自分の創作の闇や影に押しつぶされて飲み込まれてしまいそうなあの焦燥感……とても怖いです。

 

いや、わかっている、わかっているんですとも。

 

創作の世界が光に満ちあふれた希望だけの世界ではないことなんて。

心身を削り、血反吐を吐き散らすような産みの苦しみがあることは重々承知の上ですし、そうした作る側の創作の闇からこぼれた一条の光だけを見ていることも。

 

死にそうなくらいに苦しんで世に出した物が見向きもされないことに耐えられず、創作の世界を去った人を知っています。

 

たまたま出したネタ的な作品が想定外に大バズりした上に勝手に代名詞扱いされ、本当にしたいことが出来なくなって背を向けた人を知っています。

 

そして、そのさらに深い闇の底で誰にも何にも知られずに苦しむ人がいることも。

 

創作をコンテンツとして消費するということは名も知らぬ数多の屍の上に立ち、地獄の苦しみからようやく絞り出した僅かな光を燦々と浴びて楽しむ行為だということはわかっていますし、そんなことなど知らぬ存ぜぬと浴びた光を全力で楽しむことがコンテンツに対する割と正しい姿勢であることも理解しています。

消費者のためにこんなに苦しんでくれたんだね!という姿勢で臨むのは健全とは言えませんし、仮にそんな気持ちになったとしてもおくびにも出さず、ぐっとガッツポーズして「アンタの作品……パーフェクトだったぜ!」と伝えるのが多分礼儀なんだと思います。

 

ですがそれでも、クリエイティブな人たちは涼しい顔で煌々と輝いて光を振りまき、そんな光を浴びて膨れ上がった自分の影と踏みつけた数多の屍に引きずり込まれるんじゃないか、何か俺もやらなくちゃならないんじゃないかと思うときがあるんです。

 

だから俺もやってみよう!……とならないんですよね。

創作の世界っていつ如何なる時も平等で、それと同じぐらい誰に対しても残酷だから。

 

一歩踏み出した先は闇かも知らないけれど、踏み出さなければ闇か光かわからない。

時折影に怯える時もあるけれど、何もしなければ影はいつまでもただの影。

 

こうして踏み出す理由から目をそらし、踏み出さない理由を必死になって探す日々。

踏み出すことが凄いことも、その凄さと踏み出した先にある物が関係ないことも痛いくらいにわかっている。

だから、怖い。

 

たぶんこれは呪いのようなもの。

いつか俺が踏み出すまでずっと纏わり付く俺の影。

いつか影を振り払う時が来るのか、この影を受け入れていけるのか。

 

俺にもわかりません。

 

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