常日頃からお世話になっております。
ケンロクエンです。
おかげさまで第810回です。
Vtuberが好きでよく見ているのですが、時折「そんなに好きならVtuberになればいいじゃん」という話をされることがあります。
たぶんなろうと思えばなれるんだと思います。
黎明期に比べたらボディの製作もビジネスとして確立してますし、それでなくとも個人的なツテやコネをフル活用し、最後にしっかりお金を積めば(ココ重要)数ヶ月もあればVtuberにはなれるでしょう。
でもなぁ……違うんだよなぁ……。
わかってくれる人はいると思うんですけど、推しと肩を並べたいわけではないんですよ。
そりゃ認知されれば嬉しいし、そうでなくとも応援はします。
ですが、同じステージに立ちたいわけではなく観客席で座っていたいのです。
いやだって考えてみてくださいよ。
野球選手が好きなのとその人と勝負したいのは別問題ですし、ボクシングが好きでも実際にリングでファイトしたいのは別の層でしょう?
そんなわけで俺は一歩離れたところにいたいのです。
それにね、どんな界隈であっても推しが推せるのって何かしらの「自分にはないもの」を持っているからってのはあると思うんですよ。
スポーツであれ芸能であれ世界は変わらず、自分には持ってない輝きに人は惹きつけられるというのはあるはずです。
つまり、推しの輝きは……あの煌めきは……俺には出せない!
我ながらめんどくせぇとは思うのですが、推しが輝けば輝くほど自分にはそれがないって感じるシーンってあるんですよ。
大概はそんなこと推しの輝きの前では考えるだけ無駄!競うな!持ち味を活かせ!と心の中の範馬勇次郎の一喝によって脳内から追い出しているのですが、もし俺が同じステージに立つのなら、当然それとも向き合わなくてはならないのでしょう。
無理です!とてもではないが無理!
世の中に推しの光を目指して夢の世界に挑戦し、見事光を内より放って推しと肩を並べた人々がいるのは承知しておりますが、それが俺にできるかというと答えはノー。
推しの光に歩を進める前に、光を浴びてできた影と向き合うのを想像するだけで辛くなります。
故に俺は今日も今日とて推しを遠くから眺めるのです。
日陰は寒いですが、日陰が適した生命体もいるのです。
推しよ、推しよ。
今日も輝いてくれてありがとう。
日陰から見る光は日向で見るより輝いて見えるよ。
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