常日頃からお世話になっております。
ケンロクエンです。
おかげさまで第923回です。
土着信仰と呼ばれるものをご存知でしょうか?
民間信仰とも呼ばれるそれは、特定の宗教や文化ではなく、土地や集落に根付いた信仰形態のことを言います。
例えば、世の多くの宗教は神や教祖を基点として国家や文化の垣根無く広がっていくものですが、土着信仰は特定の土地や集落の外ではまるで知られてなかったりするものです。
……とまぁ仰々しく書いてはみましたが、よくある「〇〇県民は正月にアレを食べる!理由は縁起物だから!」とかなんとかでテレビで紹介されるのも立派な土着信仰の一種な訳で、そう考えると非常にざっくばらんな考え方です。
しかし、実は日本はこの土着信仰というものが非常に多い国だそうで、場所によってはそうした土着信仰がほとんど残ってない地域も結構あるとか。
そんな中で何故日本はこんなに土着信仰文化が多いのか?というのを調べてみると、意外と面白いんですね、これが。
まず日本は国土が狭い。
にも関わらずめちゃくちゃに地域が細分化されており、山の多い土地柄と相まって地域間の交流が非常に少なかった。
今でも村社会なんて言葉が残るように、地域間での交流や外の地域への流入がないとその地域が即ちそこに住む人によって世界の全てです。
まぁなんせ豊臣秀吉が天下統一したのが1590年ですからね、国家として1つになってからほんの500年程度と考えると無理もない話ですが。
そんなわけでその地域が世界の全てになるということは、その地域での最も最適化された行動が世界の常識になるわけです。
これによって地域間での文化の違いはどんどん発達していきます。
次に四季折々の要素。
「日本には四季があるから……」と言われるくらいに日本は季節によってさまざまな顔を見せます。
自然が季節によって大きく姿を変えるというのは、それだけ季節によって得られる恩恵なんかも変わってきます。
季節ごとに旬の食材なんかが手に入り、寒さや暑さで発酵・熟成するものもあるわけです。
その一方で季節ごとの厄災もさまざま。
暑さに寒さ、日照りもあれば日照不足もある。
そうでなくとも地震の多い土地柄ですし、四季折々の災害が人々を襲います。
それに加えて八百万の神という考え方。
古くから日本には何にでも神が宿るという考え方が存在します。
その考え方+そもそも人が人知を超えたものに人ならざるものの影を見るということもあって、日本にはめちゃくちゃ神様が多いです。
というか「神」という言葉がそのまま神様を示すと同時に「人知を超えた存在」というジャンルであり「なんだかとてもすごい」というグレードでもあります。
なので祀り方が似通うわけで、神様も鬼も龍も大体寺社仏閣や祠といった箱物を建ててお参りするというスタイルに落ち着きがち。
この何にでも神を見出す考え方に四季折々の恩恵や災害が合わさり神的存在が爆発的に増え、それが細分化された地域によって受け取り方や対処の方法が変わることでその土地独自の対応方法、すなわち土着信仰がうまれてきたんだとか。
もちろんこれは考え方のひとつで、そのほか様々な要因があるようですが、なんとなく理解できますね。
というか何にでもどこにでも神様がいるって考え方、よくよく考えるとクトゥルフチックですよね。
なんか日本においてやたらクトゥルフが創作に使われてるというか、なんでもありな便利ゴッドに使われてるのが少し理解できた気がします。
……?タイトルのどちゃシコはどこかって?
いや、土着信仰の略ですけど??
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