汚泥の底日誌

文章力向上と自分の書きたいことを書き殴るためのブログです。

第949回 最近ボカロを聴き始めた話

常日頃からお世話になっております。

ケンロクエンです。

 

おかげさまで第949回です。

 

最近ボカロを聴き始めました。

ボカロというと出会い方が悪くて苦手意識があったのですが、最近友人に見せてもらったボーカロイドのライブ「マジカルミライ」の演出がとても良かったことと、それこそ片手じゃ足りないくらい前の年数からの苦手意識の原因だった要因がとっくの昔になくなってたことを知って、いつまでも食わず嫌いしてるもんじゃないなと思って自己意識改革。

やはり流石に最早ボカロと人間の垣根は無くなった!とまでは言いませんし、むしろ一声聞いてボカロをボカロとわかるのは特徴であり売りポイント。

ですが昔、俺が食わず嫌いをしていた頃に苦手意識の1つだった異常な音域の変化みたいなのって少なくとも俺が聞いた曲には全然なくて、音の流れが凄い自然になりましたよね。

 

なんか昔のボカロ曲って凄い音域の変化が激しかったイメージがあったんですよ。

人間がアー、アー↑、アー↑↑みたいな感じで徐々に高い音に変わっていくのに対してボカロ曲ってアー、アー↑↑↑↑↑みたいな人間がそれやったら秒で喉をヤりそうな転調とかがある曲が凄く多かったイメージがあって、それが俺としてはより機械感を感じさせるというか、異物感があって避けてしまっていたんですよね。

 

あとは今みたいにカラオケで配信されたり、歌手がカバーして歌うなんてことが想定すらされてなかった頃だったので、人が歌うことを全く考慮してない曲がめちゃくちゃ多かったイメージ。

先述のめちゃくちゃな転調もですが、超高速寿限無みたいなギチギチに詰め込んだ歌詞を信じられないくらいの早口で歌う曲が多く、そうした人間が歌うには常識外れな曲を持って「人間以上の能力」「人間を超えた」と誉めそやす人たちが一部にいて、そういう一部界隈の風潮も俺の苦手意識を加速させる要因でした。

今思えばそんなの木を見て森を見ずだったんですけどね。

 

ですが最近というか俺が聞き出してから他者にオススメされる曲の大半はそういう感じではなくなんというか……「人に優しい」曲が多いように感じます。

無論かつての人間が歌うことを考慮しない曲が無くなったわけではありませんが、そういう曲は人は人、ボカロはボカロという棲み分けがなされた上でのボカロならではの演出をするための曲になったのかなと思っています。

 

まぁ俺が聞いてるのがそういう聞く側に優しいメジャーな曲ばかりの可能性もあるんですけどね。

これもまた別側面の木を見て森を見ずの可能性があるので、ニワカのくせにあんまりわかったようなことを言うのはやめておきましょう。

 

なんせ相手はボカロ、1曲聴いてるうちに世界のどこかで新曲が生まれていると言われているくらいの持ち曲ヤバすぎな存在。

どれだけの木を見ても、森を見ることは不可能に等しいのですから。

 

とはいえボカロを通じてまた自分の知見が広がったのは事実。

これからもサブカル食わず嫌いはせずに、いろんなものを吸収していきたいですね!

 

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