汚泥の底日誌

文章力向上と自分の書きたいことを書き殴るためのブログです。

第3回 ラジオの話

常日頃からお世話になっております。

ケンロクエンです。

 

皆さんはラジオは聞くでしょうか?

車に乗る人はBGMがてら多少聞くでしょうが、中々ラジオを聞く人というのは少数派なんじゃないでしょうか?

 

その歴史の古さに対してラジオを聞くハードルというのは高く、数年前にradikoというラジオアプリがタイムフリーを始めるまでは、そのほとんどがリアルタイムじゃないと聞けない状態でした。

アーカイブがあるのはネットラジオばかりで、アニメや声優ラジオの方が初心者への配慮が出来てたんじゃないだろうか?

 

そんなラジオにちょくちょく手紙を投稿している。

事前にお題を決められたもの、自分が思いついたもの…様々だ。

長年やってるといくらかは採用される。

採用された時、ある種の駆け引きが始まる。

 

2週連続採用は…あるか?ないか?

だとしたらこれは送るべきか?

少し寝かした方がいいか?

しかし時事ネタも含むからなんとも…!

 

ラジオというのはリスナーとMCの手紙での一騎打ちなのだ!

 

 

本題に入ろう

 

昨今さまざまなYouTuber Vtuberがラジオと称してネット配信を行なっている。

それはいい。

だが、そのほとんどが雑談配信、それならばまだいい、ひどいものは映像用意するのがめんどくさかったとしか思えない劣化配信を総称してラジオと呼んでいることだ。

 

先ほども言ったがラジオはリスナーとMCの手紙での一騎打ちなのだ。

事前に手紙を募集し、その内容を精査し、場合によっては削ったりしながらもリスナーがぶつけてきた手紙にMCが回答するものである。

なのに配信しながら手紙を開き、なんて読むんだろう?などと初見丸出し、コメントが盛り上がればメールそっちのけでそっちを拾う…

 

それってラジオか?

 

もちろん全てがそういうわけではないし、自分が今言っていることが古参気取りの害悪マンなのは理解もできている。

でも、劣化配信をラジオと称するのは失礼だと思うんだ。

スタッフや構成作家がMCの特徴とかからコーナーを決めて番組の色を出していくラジオという媒体を、映像ない分楽勝じゃん?みたいな感じで使って欲しくないんだ。

 

ただただ垂れ流しの配信をろくに編集もせずに流すだけでラジオを呼称する必要性を感じない。

 

それもこれもラジオの浸透具合が大きな素養なんだろうけどね。

 

とりあえずラジオの地域格差をなくしてくれ。