汚泥の底日誌

文章力向上と自分の書きたいことを書き殴るためのブログです。

第269回 ラストの狂気が凄かった…『屍鬼』

常日頃からお世話になっております。

ケンロクエンです。

 

おかげさまで第269回です。

 

屍鬼という漫画を読みました。

原作は十二国記で知られる小野不由美さんの同名小説、漫画を手がけるのは封神演義で有名な藤崎竜さん。

この漫画もジャンプスクエアで連載され、アニメ化もしたので今更語るまでもない知名度なのですが、連載当時は個人的にかなりの異色作品でした。

 

なんせその時藤崎竜先生のイメージといえば封神演義やwaq-waqのようなコメディが全面に出てシリアスは少なめというイメージだったのに対し、この屍鬼は全編通してほぼシリアスでコメディは味付け程度ですからね。

 

しかし藤崎竜先生の独特かつ魅力的な絵柄と田舎の閉塞的で鬱屈とした空気感が見事にマッチしていて素晴らしい。

 

この作品は親の都合で都会から引っ越してきた結城夏野、村の医者である小崎敏夫、寺の跡取り室井静信の3人の視点をメインに進められていきます。

 

村の丘の上に桐敷家が引っ越してきた時から村には奇妙な病気が広まります。

最初は夏バテのようにボーってとして貧血を起こすだけなのですが、それがたった数日で衰弱死してしまう。

 

そして1人、また1人と同様の症例が増えていき、新種の伝染病の疑いが…。

そこにある時おかしな話が舞い込みます。

例の病で亡くなったはずの人を夜中に見た…と。

 

依然として止まらぬ謎の奇病が蔓延る中、夏野、敏夫、静信は各々の視点からとある結論に辿り着きます。

この一連の奇病を巻き起こしているのは村に伝わる死者が蘇るという伝承の「起き上がり」によるもの、その起き上がった者…『屍鬼』によるものではないかと…。

 

この作品の1番の見所はやはりラストの狂気的な展開にあると思います。

故にゴリゴリラストの話をするので、ここまで読んでくれて作品に興味を持ってくれた方はゴーホーム。

あの展開は是非こんなブログではなく実際に漫画を手に取って味わうべきなので!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、ではラストの話をしていきましょう。

この屍鬼という生き物は御伽噺の吸血鬼のように他者の血液を吸うことで生き、神仏や十字架を嫌い、日光に弱く心臓に杭を刺したりしなければ死ぬことがない超常的な生き物です。

そして夏野は自らが屍鬼に襲われ起き上がることで、敏夫は妻が襲われ起き上がり、その身体を凄惨な人体実験を施すことにより、静信は敏夫とのやり取りや自分が屍鬼であることを隠して接触してきた少女、桐敷沙子との交流を経て屍鬼という存在に肉薄していきます。

 

そして夏野と敏夫は桐敷家の人間を衆目の前で虐殺することで屍鬼の存在を村民に認知させ、一連の奇病が屍鬼によるものであると暴露します。

 

ここからの狂気が凄まじい。

 

日中は眠りに落ち動けない屍鬼たちを村民たちによる一方的な狩りが始まります。

かつて友人だったものを裏切り、殺し、最早どちらが屍鬼かわからなくなりながらも狩りは続き、そして村は人間も屍鬼もなく破滅を迎えます。

 

とある屍鬼の1人は人間の時から弱いものに高圧的で、自分の父親には弱いという典型的なヘタレいじめっ子気質なのですが、屍鬼として起き上がってからはその気質がひどくなり、吸血をする前に対象を暴力で殺してしまう=屍鬼として起き上がることはないという悪辣な存在となります。

一方その父親は人間側のリーダー格として村民の敵討ちや起き上がった息子の始末は親の務めとして屍鬼狩りを主導するのですが、ラストでとある屍鬼を追い詰めた際に屍鬼を葬れることに喜びを感じ、じわじわと嬲り殺しにするなど根底では同じ気質の持ち主であることが判明したところなどはゾッとします…。

 

狂気と狂気がぶつかり合い、どうしようもない破滅を迎えるこの屍鬼という作品。

原作をなぞるだけにはして欲しくないという原作者の意向があったためストーリーが違うようなのですが、原作の方も気になってしまいますね!

 

ブログの感想、お題、ネタなどありましたら

johnny.may.jellyfish@gmail.com

までお送りください。

また、記事下部の星、Twitterでいいね、RTしてくださるとケンロクエンが小躍りして喜びます!