常日頃からお世話になっております。
ケンロクエンです。
おかげさまで第790回です。
フィクションの特権は現実ではあり得ないことが起きること。
ファンタジックな世界の中で剣や魔法を振るったり、悪魔や天使、獣人といったさまざまな種族が登場したりと特色豊か。
機動力確保と急所の防御を両立したビキニアーマーも裏を返せばその作品内の敵は高速攻撃&的確な急所エイムがデフォルトと考えられますね。
俺もヘッドショットしか狙わない代わりにエイムが鬼なキルマシーンと戦うなら、頭をガチガチに固めたいところです。
そんな中である意味最もファンタジックなものが「死」の概念との向き合い方。
不老不死や種族的な弱点の克服による死の超越や死者の蘇生。
逆に呪いなんかで不老不死になってしまい、悠久の時を経て死を求めるなんてこともありますね。
その全てが敵の目標にも味方の目標にもなるのが面白いところでもあります。
どんな危険なところにも飛び込んで人助けをするヒーローの目的が死ぬためにより危険なところに向かっていただけだったり、世界を震撼させる魔王の目的がただ死にたくないがためだったり……。
死者の蘇生や不老不死のあり方の正解不正解というのは作品によりますが、俺個人としては死者の蘇生にノーを言える作品は好きです。
例えば遊戯王では原作がカードゲーム主体になり始めた頃から死者の蘇生についてが物語の主軸になっていきます。
喪った想い人を幻影でいいから復活させようと大規模な行動を起こしたペガサスや、遊戯王のある意味象徴的なカードでありながら神の蘇生は不完全だったりしたその名もズバリな「死者蘇生」のカードなどなど。
そして原作ラストにおいて、自らの肉体に宿ったもう一つの人格にして相棒たる古代エジプトの王「アテム」と対峙した主人公、遊戯はアテムを彼が本来いるべき冥界に送るために戦うこととなるのですが、勝利の決定打になった「封印の黄金棺」の原作効果である「自身が黄金棺に納めたカードを相手が使用した時に、その効果を無効化する」という効果によってアテムを撃破。
その無効化したカードこそが「死者蘇生」のカード。
自らの手で彼を送り出すためにも1番否定しなければならなかったことをカードゲームの中でしっかりと明示したこのシーンは心が震えましたね。
その後彼は漫画やアニメで違う道を歩むのですが、それはまた別のお話。
もう一つ好きな作品は何度かこの汚泥の底日誌でも触れたことのあるガン×ソード。
結婚式当日に結婚相手を殺された主人公ヴァンが、その仇であるカギ爪の男を探して復讐の旅を続ける話ですが、カギ爪の男との最終決戦時に男は自らの目的とその副産物として発生する時間の巻き戻しで結婚相手を蘇らせることを提示。(実際にそんなことできるのかは不明)
復讐を遂げるために暴走とも言える吶喊をしていたヴァンもこれには青ざめて攻撃の手を止めるのですが、その後すぐに叫びます。
「死んだ奴は絶対に生き返らねぇんだ!お前は俺からエレナの死まで奪う気か!!」
カギ爪の男が言ってることは何一つ理解できないが、死んだ人が生き返らないことは知っているし、何よりその死すらもその人の生きた証であるという考え方はハッとさせられますよね。
こうしてみると死者の復活にノーを突きつけるというか、死と向き合ってそれに対して確固たる答えを持っている作品が好きなのかも?
誰も死なない幸せな作品も素晴らしいですが、たまにはこうして死が根幹に根ざした作品も良いですよね。
死とは、何か。
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