常日頃からお世話になっております。
ケンロクエンです。
おかげさまで第645回です。
いやぁ8月も終わりですね。
早い早い。
この夏の思い出といえばやっぱりSensitive Gartic Phoneですね。
もとより俺の周りに絵描きがそこそこいまして、絵が描ける人と描けない人が織りなすカオス空間が予想を超えて面白かったことを原点にもっとカオスに、もっと面白くをテーマにして考えついた同企画ですが、この約2ヶ月の間に結構な頻度でGartic Phoneで絵を描くことで絵を描くことそのものへの抵抗感がほんの少しばかり薄れたような気がします。
もちろん俺の絵のレベルはダメダメですし、それを伸ばそう!という気概もゼロなのですが、それでもこうやって遊びで絵を描くゲームをするのも悪くないなと思えるようにはなりましたね。
そもそも絵を描くということが人生の導線になかったので絵に対してのスキルがないのは当然なのですが、絵に対しての苦手意識とかってどこから来てたのかなー?と自分の今までを振り返ってみるとたぶんコレ小学生時代の絵日記なんですよね。
特に今の時期、夏休みシーズンって毎日の宿題として絵日記が宿題として出てたと思うんですが、アレマジで絵に対する抵抗感上がるな〜って思っちゃうのは俺だけでしょうか?
だって考えてみてくださいよ。
クラス全員キッチリ毎日絵日記書いたとしてですよ?
夏休みが40日でクラスの生徒も40人だとしたら教師は40×40の1600日分の絵日記を見なきゃいけないわけですよ。
1600日分って言ったらザッと5年分ですよ!?
ハルヒのエンドレスエイトを8週やって結構派手に燃えたのに、夏休み終了と同時に夏休みだけ抽出した擬似輪廻転生アカシックレコードみたいなものを出されるわけですよ!
それが何を生むかと言いますと、見たかどうかもわからないおざなりな○がしてあるだけだったり、もとより下手な絵と流し見が組み合わさることで描いてあることが読み取れずにトンチキな感想が書いてあったりなんかが生まれてしまうんですよ。
いやコレは教師のみなさんが悪いんじゃなくて、夏休みの宿題として絵日記が当たり前になっていることと、宿題は提出しなければならないという固定観念の合わせ技のせいだとは思うんですけどね、とはいえそのせいで下手なりに頑張ってもまともに見てもらえない&描いた絵をちゃんと読み取ってもらえないという経験がおよそ6年間続くわけじゃないですか。
そりゃ絵が苦手だったり嫌いになる人が出てきても仕方ないんじゃないかなって……。
それがここ数ヶ月Gartic Phoneをやることで、自分の絵をしっかり読み取ってくれようとする人たちや、ちゃんと読み取ってくれる人たちのおかげで、苦手意識や抵抗感が少しだけ薄れたような気がします。
コレは俺にとって大いなる前進!
人である以上好きなものも嫌いなものもあるけれど、こうやって好きなものを増やしていける日々を過ごしたいですね!
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