汚泥の底日誌

文章力向上と自分の書きたいことを書き殴るためのブログです。

第379回 写真って撮ってる?

常日頃からお世話になっております。

ケンロクエンです。

 

おかげさまで第379回です。

 

みなさんは写真撮ってますか?

趣味とかそういうのじゃなくて、スマホでパシャリとか全部含めて日常的に写真って撮ってますか?

 

俺は結構撮るんですよ。

画角や構図にこだわったりとかはないんですけど、なんか面白いものを見かけたときや楽しい時にパシャリと撮っています。

まぁ昨今の事情でここ最近はろくに友達と会うこともできないのでさすがに頻度は減りましたけど。

 

携帯電話、とりわけスマホが普及してからは写真に対するハードルはめちゃくちゃ下がりましたよね。

いつでもどこでもスマホでパシャリ。

本体そのものの容量の向上に加えてクラウドサービス等で枚数を気にする必要もほとんどなくなりました。

 

昔は写真といえばイベントなど限定の特別なものでしたが、今では日常のワンシーンなどの何気ないものも簡単に納められるものになりましたね。

最近では「映え」なる文化も生まれ、写真に撮ってSNSにアップロードするまでが1つの流れになっているものもあり、ひどい時には飲食物を写真に撮るだけ撮って捨てたらする人もいるんだとか。

 

海洋堂あたりにお願いして撮影用タピオカミルクティーフィギュアとか作って撮影料取ったらビジネスにならねーかな?

 

なんでこんなクソ真面目な話をしてるのかというと、とあるラジオを聞いていたときの視聴者からのお便りの話が気になったんですよ。

そのお便りの投稿者曰く、友人を撮影禁止の美術展に連れていったが「撮影できないからつまらなかった」と否定されて怒っているとのこと。

気持ちはよくわかります。

 

しかしその後も話を聞いていると投稿者は普段から写真は撮らず、心を動かされるかどうかが大事と豪語していました。

 

そこまで聞いてしまうとどちらも両極端に思えてなりません。

おそらく友人は撮影しSNSにアップロードしていろんな人達と感情を共有することがゴールだったんでしょう。

なので目的半ばで切り上げざるを得ない撮影禁止という場所は心から楽しめなかったんだと思います。

それにしたってつまらないは言い過ぎだと思いますけどね。

いや本当にその人にとってつまらなかったのかもしれませんが、それが本当に撮影禁止に由来するのかどうかは考えもの。

 

美術展は良かったけど撮影できたらもっと良かった!なのか、美術展がつまらない上に撮影禁止で更にドン!なのか…。

 

対して投稿者の方の撮影不要論みたいな極端な考えも良くないですよね。

人は忘れるものだから、記憶じゃなくて心が動かされるか、刻み付けられるかが大事という話は実によくわかります。

でもまぁ写真に撮って忘れずにいられるならそれに越したことはないじゃん?というのが俺の考え。

 

いや人間たしかに忘れるものなんですよ。

数日前の晩ご飯すらあやふやになる生物なのに、いくら心を動かされたからといって果たして本当に覚えていられるものなんでしょうか?

 

スマホのアルバムが時折「数年前の今日は〇〇してました!」と写真を見せてくるんですが、まだ2年くらい前だと思ってたことが4年くらい前でびっくりすることがありますしね…。

 

先程も書きましたが、写真に関する価値観が変わったと思うんですよ。

携帯電話やデジカメのおかげで撮影枚数を気にしなくても良くなる前は写真って特別なものだったじゃないですか。

道端にネコがいる!で写真を撮ることってまぁなかったと思うんですよ。

カメラにフィルムに現像に、手間もお金もバカにならないものでしたから。

 

それに比べて今は何でもないちょっとしたことも写真の残せるようになったんですよ。

だったら残せるものは残した方が良くないですか?

 

そりゃ写真のために被写体を蔑ろにしたり、撮影禁止の場所で撮るのはもってのほかですが、いろんなものを写真に残して記憶に留めておきたい。と俺は思うんだけどなぁ…。

 

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