汚泥の底日誌

文章力向上と自分の書きたいことを書き殴るためのブログです。

第1023回 オープンワールドゲーム、できなくなってるかもしれない

常日頃からお世話になっております。

ケンロクエンです。

 

おかげさまで第1023回です。

 

前作をはるかに超えるボリューム!ということで某流行りの伝説 やたーら めちゃ 広すぎるでタイムラインが埋め尽くされています。

もうこのままタイムラインを追っていったらそのうち1ミリもやらずにストーリーの全てを理解できるんじゃないかと思うくらいには、多数の人がプレイしています。

 

前作である流行りの伝説 やたら めちゃ ワイルドもなんだかんだ配信者の人のプレイ(とRTA)でしか知らず、さすがにここまで多くの人が酔いしれる作品であるならば、やたら めちゃ ワイルドの方を今からでもプレイするか?と思うのですが……。

 

なんでもできるというだけで尻込みしてしまうんですよね。

 

流行りの伝説に限らずオープンワールドゲームって「どこに行くのも何をするのもあなたの自由!さぁどうぞ!」ってものが多いじゃないですか。

最終的には世界を救ったり、目的のものを手に入れたりとザックリとした目標こそ決まっていても、そこまでの道筋はそれこそプレイヤーによってさまざまで、おそらく製作者サイドが想定してるであろう無難な道のりで進む人もいれば、とにかく強くなってから進む!な人もいれば、最短ルートでダッシュダッシュ!な人もいるわけです。

 

そしてそれら全てを受け入れるだけの許容性がある。

あってしまうのです……。

 

いやね、何から何までガチガチに決められたおつかいゲーがやりたいわけではないんですよ。

たまにありますよね、とにかく全てがガッチガチにきめられていて、言われた通りに進めば自然と適正レベルになってて、謎解きも過剰なくらいにヒントがあって、「プレイヤーの進行度を完璧にコントロールできるのは凄いけど、これAボタンをひたすら連打してるのと何が違うんですか?」なゲームが。

それに比べたら自由度や広い世界どんと来い!ではあるんですけども、あまりにも自由すぎるとそれはそれで不自由なんですよね。

 

「村を助けてくれてありがとう!この村の先には次の村(製作者想定ルート)があるよ!ちょうどあの特徴的な山(村を無視して行けるダンジョンがある)を目指して走っていくといい。途中にある湖(休憩地点&サブイベントポイント)は景色がいいよ!」

こんな感じで行くべき道をある程度絞った上で自由にさせてほしい……。

 

なんでもできる!は素晴らしいとは思うんですが、実際にそのなんでも部分を決めるのってゲームプレイにおいては助走にあたるわけですよ。

次はどうすればいいか明示されてるゲームってのはある程度助走が済んでいる状態で、ガチガチに進む道が決まってるゲームもそれはそれで助走は終わっているからあとは走り出すだけなメリットがあるんですよ。

助走どころか助走の仕方から考えなきゃいけないの……つらい!!

 

あぁこれが……老化か。

 

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