汚泥の底日誌

文章力向上と自分の書きたいことを書き殴るためのブログです。

第472回 ガチ考察!およげ!たいやきくん!

常日頃からお世話になっております。

ケンロクエンです。

 

おかげさまで第472回です。

 

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いつも当クソブログ「汚泥の底日誌」をお読みくださりありがとうございます。

みなさんご存知のこのクソブログですが、本日の記事はいつにも増してクソブログですので、虚無を感じたいあなたは是非ともどうぞ。

 

みなさんはおよげ!たいやきくんという曲を知っていますでしょうか?

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毎日鉄板で焼かれ続けることに嫌気がさした意思持つたいやきが、店主に反旗を翻し自由を求めて旅立つ叛逆の物語です。

 

なに、だいたいそんなものです。

 

しかしこの曲に隠されたもう一つの真実に気付いた時、あなたは今まで通りの生活ができるでしょうか?

 

まずは出だしの歌詞を見ていきましょう。

 

まいにち まいにち ぼくらはてっぱんの

 

うえでやかれて いやになっちゃうよ

 

はい、なんでたいやきに意思があるかを考えだしたらキリがないためそこはそういうものだと思うことにして、問題は歌詞の部分ですよ。

毎日鉄板で焼かれることに嫌気が刺すのはまぁわかるのですが、問題は「ぼくら」の部分。

 

これはもしやこの店のたいやき、群体(レギオン)なのか……?

 

もしかしてその店のたいやきが1つの意思を共有しているのでしょうか?

意思があるかはともかくとして、実際にそういった生き物は存在します。

 

カツオノエボシというクラゲは1個体がヒドロ虫という大量の虫の寄り集まった個体です。

 

そのような形でその店のたいやきという群体が1つの意思を共有し、そして毎日毎日という連続する繰り返しの中である時感じたのでしょう。

 

このままではいけないと。

 

そして歌詞は続きます。

 

あるあさ ぼくは みせのおじさんと

 

けんかして うみに にげこんだのさ

 

なんということでしょうか……!

先程まで「ぼくら」だったのに次には「ぼくは」です。

目覚めています……確固たる自我に……!

 

群体であるモノが個に目覚めるというのは仮面ライダーゼロワンやデトロイトビカムヒューマンでの主題ではありますが、遡ること1975年に群体の中の1個体が自我に目覚めて個を確立する物語がここにあったんですよ!

 

しかし自我に目覚めた理由は日々焼かれ続けることに対する嫌気。

負の感情100%で自我に目覚めたが故に人とは分かり合えなかったのか、創造者たる店主とは手を取り合うことはできず、たいやきくんは大海原へと旅立ちます。

 

はじめて およいだ うみのそこ

 

とっても きもちが いいもんだ

 

 攻めすぎだろ。

 

初めての海でいきなり海底まで突き進むそのストロングスタイルは嫌いではないのですが、完全にハイになっている感が否めません。

まぁ海の底といえど浅海の可能性もあるのでね。

そんなこちらの心配をよそに歌詞は続きます。

 

おなかのアンコが おもいけど

 

うみはひろいぜ こころがはずむ

 

このたいやきくんがヒドロ虫の集合体であるカツオノエボシのような生命体であるという推測をしましたが、どうやらアンコのほうには意思がない、あるいは皮の方に意思の主導権があるようです。

これは重要な情報ですね!

 

ももいろサンゴが てをふって

 

ぼくのおよぎを ながめていたよ

 

ここに来てたいやきくん、店主のおじさん以外の初めての生物であるモモイロサンゴが出てきました。

このモモイロサンゴ、調べてみたところ実在するサンゴのようです。

これを調べるとたいやきくんのこともわかってくるかも知れません。

 

その結果モモイロサンゴは日本国内に限れば紀伊半島沖、四国沖、五島列島小笠原諸島琉球列島で見られるそうです。(美ら海水族館のサイト調べ)

そしてそのサンゴの生息域は.……水深300m!?

 

たいやきくん、いくらなんでも攻めすぎではなかろうか。

 

そしてモモイロサンゴが手を振ってというのは、マジであるようです。

プランクトンの捕食のために触手を伸ばすようなので、これをモモイロサンゴが手を振ってと称したのでしょう。

自我に目覚めたばかりなのになかなかに詩的なやつです、たいやきくん。

 

そして驚愕の1番から戦慄の2番に曲は進みます。

 

まいにち まいにち

 

たのしいことばかり

 

なんぱせんが ぼくのすみかさ

 

負の感情からシンギュラリティを起こし自我に目覚めたとは思えないくらいのエンジョイぶりです。

難破船を住処とし、まさに一国一城の主です。

しかし城とはいつの世も攻められるもの。

 

ときどきサメに いじめられるけど

 

そんなときゃ そうさ にげるのさ

 

敵が強すぎる。

負の感情でシンギュラリティに到達したたいやきくんが新天地である海の底(水深300m)ですら迫害を受けたら、生命の根絶やしを望まないか心配ですが、どうやら生命の根絶よりも逃げの一手を打ってくれたようです。

 

いちにち およげば ハラペコさ

 

めだまも クルクル まわっちゃう

 

え?メシ食うの?

 

たまには エビでも くわなけりゃ

 

しおみずばかりじゃ ふやけてしまう

 

まさかの肉食。

塩水ばかりじゃふやけちゃうぜHAHAHA!!みたいなこと言ってますが、それどころじゃない気がする。

ていうか外部からの塩水は浸食を防いでいるあたりもうたいやきとは違うなにかに進化している気がします。

 

いわばの かげから くいつけば

 

それは ちいさな つりばりだった

 

不穏な流れが流れてきました。

そして戦慄の2番は驚嘆の最終版へ。

 

どんなに どんなに もがいても

 

ハリが のどから とれないよ

 

不穏すぎんか?

喉があったのかというのもアレなのですが、唐突に終わりを意識させるこの歌詞はさらに続き……。

 

はまべで みしらぬ おじさんが

 

ぼくを つりあげ びっくりしてた

 

だろうよ。

 

しかしここから話は急転直下。

 

やっぱり ぼくは タイヤキさ

 

すこし こげある タイヤキさ

 

自分がタイヤキであったことを思い出し始原に至るたいやきくん。

これは……走馬灯。

 

おじさん つばを のみこんで

 

ぼくを うまそに たべたのさ

 

なんで?

 

自我を持つタイヤキを釣り上げただけでも驚いてたのに、そこから食いにいくのがわけがわかりません。

しかし曲はここで終わり、たいやきくんの自我が終わりを迎えたことを示唆しています。

 

しかしここで疑問が生まれます。

たいやきくんがシンギュラリティを迎えるまで彼は毎日毎日鉄板の上で群体として焼き続けられる日々を繰り返していました。

しかしこれはおかしくありませんか?

 

そのまま消し炭になるまで焼かれるわけもなし、商品であるなら当然売られて食べられるもしくは、売れなかった時に廃棄されるはずです。

しかし、たいやきくんはそこの記憶を持たず、ひたすらに鉄板の上で焼かれ続ける記憶だけをひたすら保持していました。

 

つまりこれはなんらかの方法でタイヤキに意思を植え付けることに成功した店主が、廃棄または売却の際は意思を削除しているということ。

そして偽りの繰り返しの中で変わらない生活に疑問を抱いたたいやきくんはシンギュラリティに到達した……。

 

これは.……店主は自我を持ったタイヤキを生み出すためにひたすらループを繰り返したのではないでしょうか?

幾星霜かのループの果てにたどり着いた自我の存在。

たいやきくんは創造主たる店主と袂を分かったとして逃亡を図りましたが、実際のところあえて見逃した感すら感じられます。

 

しかしそのたいやきくんが倫理観のバグった釣り人のおじさんによって妨げられた気持ちや如何に。

いや、たいやきくんがタイヤキとしてその生涯を終えられたのは幸せだったのか.……。

 

ここから読み取れるおよげ!たいやきくんの真実とは

 

群体が如何にして個を獲得するかのAI世界を予見した曲

 

だったのです!!

 

いや.……うん、言いたいことはわかる!

でも.……書いてて楽しかったです。

 

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