常日頃からお世話になっております。
ケンロクエンです。
おかげさまで第254回です。
君の名はが流行っていた時に瀧くんin三葉が周囲に疑問を持たれた時にわたし?僕?俺?と一人称を繰り返すシーンがあるんですが、アレが海外だと一人称のバリエーションがMeしかないためにMeの言い方を変えて表現していたそうです。
日本語における一人称やらなんやらのバリエーションってめちゃくちゃ多いですもんね。
普通に生きてても俺、僕、私、あたし、自分…とパッと思いつくだけで5種類出てきましたし、それらの発音違いも入れるとさらに増えるわけです。
方言を加えたらさらに増えますし、創作となると小生や某、拙者にわっちとどんどん増えていくわけですよ。
で、これらがキャラ付けにすごい役に立ってるわけで、僕は〜ってセリフが出てきたら登場人物の中で自分のこと僕って言ってるキャラの発言だってことが簡単にわかるわけです。
小説やライトノベルでキャラ同士が激しく論争したりするシーンで一人称が違うだけで、と〇〇が言った。みたいな地の文がいらなくなるんですごい読みやすくなるんですよね。
しかし、しかしですよ。
ここで絡んでくる翻訳問題。
最初に書いた君の名はの逆バージョンですよ。
キャラが100人いたら100人みんな一人称がMeってことになるわけじゃないですか。
ああいうのってどうやって一人称決めてるんでしょうね?
主人公で真っ直ぐな行動指針があるなら俺とか、慎重派なら僕、女の子はとりあえずわたしみたいなある程度の流れみたいなのはあるんでしょうけど、ボーイッシュ系なのを僕っ子にしたりとかはどういう基準で選ぶんでしょうかね?
地の文で彼女は男のような〜みたいな記述があればいいんですけど、やはりそこは翻訳家のセンスが問われるんでしょうか?
一人称もそうですが、口調とかも何基準で決めてるんでしょうね?
まぁ海外にも訛りはあるらしいですから、そこをうまいこと扱うんでしょうね。
かつて訛りを表現するために名古屋弁で吹き替えた怪作もありましたが、アレは極端な例だと思いますが…。
いやー気になる!
一体全体どうやって決めているのか!?
翻訳関係の方!おしえて!
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