汚泥の底日誌

文章力向上と自分の書きたいことを書き殴るためのブログです。

ケンロクエンの空想ゲーム問答 Vol.2

1つのゲームについてダラダラ語るケンロクエンの空想ゲーム問答第2回です。

忘れてたわけではないです。

 

Everybody’s Gone to the Rapture -幸福な消失-というゲームをご存知でしょうか?

このゲームを一言で表すなら超極まった雰囲気ゲー。

 

ゲーム開始とともに主人公たるプレイヤーがいるのはイギリスの片田舎のとある村。

この村には人が誰もおらず、どうやらある時を境に村人が忽然と消えてしまったということがわかります。

そしてプレイヤーは村中を歩き、調べ、この村に何が起きたのかを探索するのです。

 

このゲームでできるのは歩くことと調べることだけ。

ただひたすらに歩き、村の中に残る断片的な情報を集めることだけ。

ただ、村を歩いていると謎の光の球が浮いているのを見つけることができます。

その球の導くままに進むと光のモヤのような、人間の輪郭のようなものが現れて村人の消える前の一部始終を再現してくれます。

 

村人が消える前からこの村には謎の奇病が流行っていたことや、村を出ようとすると車のなどが故障するなど、なんらかの意思が働いているかのような不気味なナニカを感じます。

 

そんな村に残された痕跡と、光の球が見せる村人たちの会話をもとにこの村に起きたナニカをひたすらに調べる…そんなゲームです。

 

このゲームの舞台となる片田舎の村なのですが、とにかく綺麗。

グラフィックがとか雰囲気がとかあるんですが、とにかく綺麗。

村を探索しているだけでも結構楽しいです。

 

ですが、だからこそ空虚というか、誰もいない村とそれを引き起こしたナニカに対する不気味な気持ち悪さが常に背中に張り付いてるようなアンバランスな感情をみなさんにも是非感じていただきたい。

 

俺はPS4でこのゲームをプレイしたんですが、最初は綺麗な村の景観と蔓延る謎にワクワクしながら探索をしていたのですが、だんだんと人がいないことの不安感、孤独感が押し寄せてきて、それが閉塞感となって村から脱出したい!逃げ出してしまいたい!と焦燥感に押しつぶされそうになりました。

 

そんな時にね、あるんですよこの村には!

そう、駅が!

 

小高い丘の上に続く階段と、その上に佇む駅。

押しつぶされそうな孤独感とまとわりつく閉塞感から少しでも離れようと丘の上まで一直線。

 

やっとこさ昇りきって駅を見据えたその瞬間眼前に広がったのは!

 

 

脱線した列車の車体…。

そして赤く染まるんですよ、PS4のコントローラーのライトが…。

 

アレが演出なのか偶然なのかはわかりませんが(思い返してみればコロコロライトの色が変わっていたような気はする)演出だとしたらあんなのは初めてです。

さっきまでの張り付き、まとわりつくような孤独感と閉塞感が絶望に変わり、それがコントローラーライトだけで画面から自分の元へにじみ出てくるような奇妙な感覚…ですがそれと同時にグッと世界観に引き込まれたのもまた事実なんですよね。

 

もう誰も頼れないから俺がやるしかないんだ、と。

 

あの主人公とプレイヤーが重なるような不思議な瞬間はまさに雰囲気ゲーのある種の到達点なんじゃないかなぁ?

 

謎と奇妙な感覚に満ち溢れたゲームなんですが、欠点が1つ。

歩くのがマジで遅い。

 

俺がプレイした時点で走るのが追加されていたんですが、それでも早歩き程度。

慣れるまでのもどかしさたるや…ね。

 

しかしそれに慣れるまで飽きさせない綺麗な風景はそれだけでも一見の価値ありです!

 

このゲームで1番モヤモヤしたのは、クリアした翌月にフリープレイで来たことかなぁ…。

 

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